
沖縄の行事(二十日正月)
旧暦で行われる沖縄の正月の、いわば締めくくりの行事が二十日(はちか)正月。
那覇市辻町では「旧廿日正月お披露目行列」、通称『ジュリ馬行列』が行われます。
むかし、遊郭のあった辻町の町内を華やかな紅型の衣装を身にまとった女性達が
板馬を前帯に挟み「ユイユイユイユイ」という掛け声で鈴を振り舞踊ります。
『ジュリ』とは「遊女」のことで、辻に売られた女性達が肉親に『おめでたい正月に、
馬に乗ることができるくらい(昔は、身分の高い貴人しか馬に乗ることがゆるされなかった)
裕福になりました。「花ぬ代」と呼ばれる、綺麗な御殿の近くで健康に暮らしています。
そんな姿を、自分を売った親に見せます。』という意味の歌と共に軽快に踊り自分の現状
を知らせたと言われております。
以前は、辻町の豊年祈願と商売繁盛祈願であった『ジュリ馬行列』は現在では、
貧しさの犠牲になったジュリ(遊女)たちの魂を鎮魂したいという願いが込められ
行われております。
かつては、那覇大綱挽や那覇ハーリーとともに那覇の三大まつりのひとつだった
『ジュリ馬行列』だが、資金難などで何度か中断し、1988年を最後にしばらく
途絶えていましたが2000年に再開されました。
近年では二十日が平日ですと『神事』(数ヶ所の拝所で供え物をし拝む)のみ行われ
『奉納演舞』は翌日曜日に行われるようになっているようです。
二十日(2月26日)に行われた『神事』の様子
『奉納演舞』は3月2日(日)に行われます。
沖縄の行事(十六日祭)
旧暦の1月16日(今年は2月22日)は沖縄各地で十六日(ジュウルクニチー)祭
が行われます。この十六日祭は「後生(グソウ=あの世)の正月」「仏の正月」
また、「正月祝い」などといい、盛大に先祖供養を行います。ただ、場所によって
次のような違いがあります。
①墓参りするところ、②家庭で仏壇を拝むところ
③前年の1月16日以後に亡くなった人のある家が墓参りするところ
④墓に通ずる道のそばや野原などで祖先の供養をするところ
私の両親の出身地でもある沖縄本島北部の「十六日祭」について説明させて
頂きます。
十六日祭は俗に「ミーサ」とよばれ、前年1月16日以後に亡くなった新仏のために
行う法事の日です。一般家庭では、法事用の供物(餅、その他)を携え、墓前に
供えて焼香します。尚、近親の墓にも参り焼香をします。近年になって簡素になり、
墓参・清掃をして帰り、霊前に供物をし、焼香をすることになった。
昼前になって「ミーサ」の法事を行う家庭へ近親・縁者が集まり焼香を行います。
当日は出来るだけ早いのがよいとされています。「三途の川」を早く渡ってもらう
という意味が込められているようです。
明治の末期頃までは、1月14日に燈籠を一対こしらえ、仏壇の左右に吊るし
明かりを点し霊を慰めたものであった。燈籠も竹でつくった普通のもや廻り燈籠
もあり、各家庭の事情によって違いがあったようです。
一旦、「ミーサ」の家庭で焼香し、「ウンペー」(礼拝の方法=現在は合掌)し、
霊を所定の場所まで送るのである。そこで無事に三途の川を渡るよう祈り、
燈籠はそこで焼き、当家へ戻りあさがりをいただき帰宅したそうです。
現在は屋外の適当な場所で先に述べた行事をすませます。
「十六日祭」の由来は、琉球王朝時代に、ある家来が正月1日から15日までは
城内の諸行事をすませ、十六日には故郷の父母へ年頭の挨拶のたけ帰郷したが、
両親はすでに帰らぬ人となって、墓参りして念頭の辞を墓前で述べたのが始まり
ともされております。
沖縄の民話(2)
沖縄の稲の始まり(南城市)
沖縄の島をつくった男神シネリキヨと女神アマミキヨの子孫であるアマミツは、
中国にわたったとき初めて食べた米を琉球に持ち帰ろうとしましたが、許され
ませんでした。このことを海外交易を盛んにやっていた伊波按司(イハ アジ)
に話すと、鶴の足に種をつけて運ばせることを思いつきました。
按司は飼い慣らした一羽の鶴を連れて中国に渡り、その鶴の足に密かに稲を
結び付け、沖縄へ向けて飛ばしました。
アマミツは鶴を待ちましたがなかなかやってきません。
ある日、受水走水(ウキンジュハインジュ)という湧き水に近い新原(ミーバル)海岸
の西方の浜川御獄(ハマガワウタキ)でつとい鶴の死骸を見つけました。
よく見ると、その鶴の死骸の側には、三本の稲の苗が芽を出していました。
アマミツは、その苗を取って受水の前の狭い田にそれを植えました。
実った稲穂は三本だったので、その田は三穂田(ミーフーダー)と呼ばれるように
なりました。それから稲はだんだんと琉球に広まったということです。
七日節句(ナンカヌシック)
本日2月13日は旧暦の1月7日にあたり、本土と同じ七日節句
(七草粥)を多くの家庭で行います。
正月(旧正月)の松飾りを取り、神仏に菜入り雑炊(ナージュシー)
をお供えします。ただ、本土の七草粥のように決まった野草はありません。
新暦の1月7日に七草粥を作る家庭は本土で七草といわれている野草が
沖縄では取れないのでスーパーなどのパックで購入する方が多いようです。
新暦でも旧暦でも七日節句を行うのは「1年の初めに体を労わり、邪気を払う」
という意味が含まれているのには変わりはありませんが。
寒い1日になりそうです。
全国的に寒い日が続いておりますが、この記事をご覧の皆様
お風邪などひいてませんでしょうか?
沖縄でもここ2・3日は寒くなっております。今朝5時の気温が
11.7℃で日中の気温も14℃までしか上がらないそうです。
沖縄気象台のデータを見ると、昨年の2月にも同じような日が
ありました。気温が12℃を切る日も何度かありましたが、日中の
気温が20℃近くまで上がっておりますので、それ程寒く感じなかった
のでしょう。沖縄ではこの季節、風速10mを越す風が吹くことも多く
気温以上に寒く感じられます。
今日の午前11時頃の空模様
ちなみに沖縄県那覇市の過去の最低気温は1967年1月16日に 観測された6.6℃。
日中の最高気温が一番低かった日は1963年 1月25日に観測された10.8℃となっております。
明日は旧正月
明日は旧暦の1月1日にあたり沖縄県糸満市などは、旧正月を
祝います。沖縄でもひと昔前までは新正月と旧正月を祝うところが
多かったのですが、最近では新正月を祝うところがほとんどです。
糸満の漁港では旧正月の3日間は漁船に酒・米・塩などを供え
大漁旗を掲げて航海安全と大漁を祈願するそうです。
私はまだニュースや新聞等でしか見たことがないのですが
その光景はとても華やかだそうです。(写真が無くてすみません)
今日は糸満の市場は正月の買い物客で賑わっていそうですね。
正月は年神さまが家庭を訪れ、家族でもてなし、その年の健康、
繁栄、豊作、豊漁を願います。このような正月を送る国は日本の
他に中国・韓国・台湾・ベトナムがあるそうです。この4ケ国も太陰
太陽暦(旧暦)の1月1日に正月を祝うそうです。
ちなみに、インドネシアのバリ島では太陽暦のほかに地方暦、
宗教暦の正月があるそうで、シンガポールやマレーシアにいたっては
ヒンズー暦、イスラム暦、太陰太陽暦、太陽暦の4回の正月がある
そうです。驚きですね。
年に4回正月があると「お年玉」も4回貰えるのかな?(笑)
(お年玉の風習は無いかもしれませんね)
沖縄の民話(1)
沖縄の各地に数多くの民話が伝えられております。
その民話の一つをお話したいと思います。
犬 と 猫 と サル (本部町)
昔、あるところにイヌとネコを飼っている人がいて、隣にはサルを飼っている
金持ちがいました。イヌとネコを飼っている人は、「隣から誰にも分からないように
お金を盗んでこられたら私と同じお膳から食べ物を与えよう。盗んでこれなかったら
庭へ投げ捨てて食べ物を与えよう」と言いつけました。
イヌはサルが木に登っていることも知らないで門から入っていきました。サルは
手を打って追い払ったので、イヌは、門から逃げて帰りました。
ネコは、サルに気づかれないように抜き足差し足で入ってまんまとお金を盗んで
来ました。
主人は喜んで、ネコにはお膳から食べ物を与えたかわりにイヌには庭に投げ捨てて
与えました。怒ったイヌは、ネコを殺そうと追いかけました。ネコはムシロの上に干してある
大豆の上を跳び越して逃げましたが、イヌは、豆の上で足を滑らせて転んでしまいました。
ネコはそれから「大豆のおかげで命拾いをした」といって煮ている豆や豆腐は食べない
ようになりました。イヌは「豆があったからネコを殺せなかった。こんなのは食ってやる」
というわけで、豆腐はイヌの好物になっているということです。
私は犬を飼ったことがありませんが、犬って豆腐好きなんですか?




















